【工場の製造ライン】車の部品製造において時代の荒波に揉まれながらも懸命に働いた20代半ばの話

【工場の製造ライン】車の部品製造において時代の荒波に揉まれながらも懸命に働いた20代半ばの話

【性別】男性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
24歳〜28歳

【当時の職業】
製造ラインに入り機械を実際に動かし製品の大量生産をしていました。

【当時の住まい】
実家の一軒家で親と同居。
なのでそれほど暮らしには不便がなかった

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
転職して、違う業種で働いている





【就職のきっかけと経緯】
前職に生きがいを感じられず、友人に相談。
相談の結果友人が働いていた工場を紹介され就職する事になりました。

【環境と仕事内容】
仕事内容としてはNC旋盤7台掛け持ちで主に車の部品を大量生産していました。
社員数は200人程で勤務は夜勤と日勤の週替わりの勤務。
休日は土・日で祝日は出勤。
年に数回土曜日の出勤もありました。
給与ですがボーナスは年2回で約4カ月分。
初任給で税金引かれた金額・残業0で月手取り24万でした。
寮もありました。

【大変だった時期】
肉体的、金銭的などで毎年大変だった。




【大変だったこと】
大変だった事は、毎年なんだかんだで大変だったのですが、勤務に関する大変さでは日勤夜勤の交代勤務になります。
日勤夜勤共に労働時間は長いです。
また日勤は特に問題なくこなせるのですが、夜勤が非常に辛く、まず夜勤に入る前の段階から無理やり夜更かしをして体を作らなくてはいけません。
そこで失敗すると夜勤時に睡魔との闘い、やっとの思いで帰宅するも帰宅中の車でとてつもない睡魔に襲われます。
現に私も何度か帰宅時に事故を起こしそうになりました。
他に大変だった事は、入社して半年後ぐらいにリーマンショックにより仕事が激減週3日勤務になってしまい手取り24万だった給料は14万まで落ち込みました。
正直私はまだ実家暮らしだったのでよかったですが、他の社員は辛かったと思います。
そしてリーマン後は東日本大震災でまたもや仕事が激減。
他にも沢山ありますが割愛させていただきます。
このように毎年なんだかんだあり、自動車産業はちょっとしたことで直ぐに直撃するため非常に荒い波に左右されました。

【大変だった期間】
24歳〜28歳までずっと続いていました。




【当時の心境】
心境としてはまだ年齢は若かったので何とか勤務に関してはついて行けていましたが、将来を見据えたときにこのままずっと続けるのは体力的に無理だなと当時からずっと思っていました。
それでも4年程働けたのは職場の人間関係が非常に良くとても楽しかったです。

【職場が大変だった原因】
勤務における大変さは車業界の先が見えにくいのが原因だと思います。
先が見えづらい為受注生産がしずらくとにかく材料を貯めようとなってしまい実際にすぐに必要が無い物まで作らされる為異常なまでに忙しくなるのだと思います。




【仕事で良かったこと】
やりがいとしてはNC旋盤でプログラムを使って機会を自由に動かしたり自分の作りたい物をCAD・CAMを使って作ることが出来たりやりがいは沢山ありました。
また初めて月のノルマ達成した時はかなり達成感ありました




【特にひどかった最悪の出来事】
リーマンショックは忘れられないぐらい最悪でした。
それでもすぐに影響はなくジワリジワリと来て最後にはドンっと一気に仕事がなくなりました。
毎日うるさい程機械の音がしているのに全く音が無くなる工場の姿は今でも忘れられないぐらい静けさに驚いていました。
また外では頻繁に行き来していたトラックもピタリと来なくなってしまい社員は突然の事にしばらく工場内を永遠と掃除をしていました。
しかし状況は全くよくならず会社は週休3日へ。
最終的には週休4日になるのですが、流石に週4日も休みがあると毎日退屈になり逆に会社に行く気がおきなくなりました。
また更に状況はよくならず会社は役員の給料カットを行い、それでもよくならなく遂には一般社員の給料カットへ。
本当に悲惨でした




【相談した人・助けてくれた人】
世の中全体が不況になった為助けてくれた人はいません。
更に幸い実家暮らしの為そこまで苦労はなく特に相談や頼った人もいませんでした。
その中でも友人の会社も同じ状況になり友人とはよく愚痴をこぼしがてら飲みに行っていました。

【改善のための行動】
会社ではこれ以上の経営難を改善したい為社員に消耗品などの費用に対し改善提案を出すように要求してきました。
私たちもこれ以上の賃金カットや経営難を打開したく課一眼となって改善案を出し合い少しでも費用削減の努力をしました。
結果昨年に比べ70%も削減できたました。
これはかなり驚異的な数字で皆どの課も真剣に努力したのだなと思いました。




【現在の状況と心境の変化】
今ではあれから10年程経ちましたが今でっもそこで働く友人に聞くとリーマンの時よりは全然大丈夫だけど今度はコロナで苦しい思いをしているようです。
心境の変化としては結果退職してしまったが、更に私生活においても工場勤務よりだいぶ裕福な生活ができていますが、工場での勤務は自分にとって満足のいった良い経験でした。

【学んだこと】
チームワークの大切さは工場勤務において十二分に通関、よい経験ができました。
また日本のモノづくりにおける最先端で働けた事は大変良い経験ができました。



【当時の自分へのアドバイス】
当時の自分へ、もう本当に時代の荒波に散々左右されると思いますが、自分のやっていることは日本の誇りで、日本国民だけではなく海外の人たちにも賞賛され自分の作った製品を待っている人がいます。
またあなたの周りにいる人は強い味方です。
自分に妥協せず日々精進してください。
結果退職する事を選ぶかもしれませんが、悪くない選択です。
頑張れ