【工場の生産技術プロセス業務】新卒からまさかの工場勤務。現場オペレーターに指示する製品担当者へ。各部署の架け橋になりつつ翻弄する日々

【工場の生産技術プロセス業務】新卒からまさかの工場勤務。現場オペレーターに指示する製品担当者へ。各部署の架け橋になりつつ翻弄する日々

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
24-30歳

【当時の職業】
工場の生産技術(プロセス技術)

【当時の住まい】
賃上社宅で1人暮らし

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
その他





【就職のきっかけと経緯】
新卒入社で事業領域が広かったので将来的に幅広く選択肢があると考えて入社。
漠然と分析専門の部署を希望していたが配属されたのは地方の工場直結の生産技術でした。

【環境と仕事内容】
24時間稼働の工場での生産技術。
製品ごとに担当者がいて指示書通りに生産しても上手く生産できないようなトラブル時に原因追求し解決まで導く業務。
効率改善やライン移管なども受けており工場オペレーターの相談役兼製品エキスパートといったイメージ。
工場では機能性フィルムの製造を各ライン4-5名のオペレータが2交代で生産。
ラインは5-8ラインが同時稼働している。
生産技術職は約8-10名で1人2-3製品は担当している。
私は日勤だが、トラブル対応時はその限りではなく解決するまでが勤務時間であった。
また退社後や休日に担当製品のトラブルが発生した際には現場オペレーターより電話があり電話対応。
電話対応のみの場合はサービスで無給。
電話対応では解決しない場合、ラインを稼働させるべく出勤する。

【大変だった時期】
最初からそれなりに残業も多く休日出勤もあり忙しかったが、3年目になった頃1人で大きなテーマの主担当になりそこから激化




【大変だったこと】
まず現場オペレーターは高卒ヤンキー上がりが多く、沸点が低くすぐに怒る。
プライドが高く大卒院卒が嫌いなので信頼されるまでに時間がかかる。
労働時間は長く、平気で月100時間以上の残業をしていた時期もあった。
何より担当製品を生産している際は自宅に帰っても夜中電話かかってくる可能性があるため携帯電話を握りしめて寝ていた。
呼ばれたらすぐに行けるようお酒も飲めない。
心にゆとりができずピリピリしており生産技術部隊は皆疲れきっている。
トラブルが数日続き解決しないと現場オペレーターからも上司からも叱責されるので精神的に辛い時が多く辞めていく人も数多くいる。
皆で仕事をするという感じではなく1人で孤独な戦いをする。
そして他人を信じてはいけないというのが先輩の教えだった。

【大変だった期間】
入社6年目に生産技術から製品開発に異動の事例。
工場から離れたので責任が軽くなり自然と楽になった。




【当時の心境】
残業が多いのでお金は貰えるが責任が重く20代にしては大きなものを背負わされたと感じた。
現場オペレーターとの信頼関係などは出来てくるがトラブルでライン停止すると皆イライラしてくるのでギクシャクする。
休みの日に休めないというのもとにかく辛かった。

【職場が大変だった原因】
会社の体質が大きく、スピード勝負で製品を開発部が立ち上げ、技術移管する。
本格的に生産スタートしてからトラブルが顕在化するので生産技術が治すという考え方によって常に忙しい。




【仕事で良かったこと】
何日も現場に入って試行錯誤した末にトラブルが解決した時や歩留まり改善できた際の効果金額がかなり大きい。
1人でやりきったという感覚を味わえ、現場オペレーターからは感謝さえされる。
また結果が金額で見えるため私がやってやったんだという達成感を味わえる点ではやりがいがある。





【特にひどかった最悪の出来事】
季節性のトラブルで冬になると上手く性能が出ないという製品の担当。
根本的な原因がわからずに冬を越して自然と解決した製品が1年後に同じトラブル発生。
その後センサーなど取り付けたり様々な解析をして対応。
しかしまた冬を越したので効果が確認できたのはさらにその1年後でした。
工場で自動化されている中でもかなり原始的で約2年以上もの間原因がわからずに縛られ続けました。
毎回一喜一憂し再発するたびに怒られていました。
製品の開発者は知らぬ存ぜずだったので1人で現場をかけづり周りました。
未だに現場オペレーターとあれは大変だったと酒の肴になる程です。
とはいえこの2年間で現場オペレーターからはかなりの信頼を得ることができたと思います。




【相談した人・助けてくれた人】
上司や先輩などに相談したが、昔は72時間連続勤務や出来るまで帰らないが当たり前だったと言われ相談することをやめた。
時代にあった解決の仕方を模索しながら現場と仲良くなる事から始めました。
専門外は専門の人に話を聞きに行くということだけをした。

【改善のための行動】
自分ではわからない知識が多いのでとにかく足繁く通うがモットーだった。
分析屋さん、設備屋さん、製造オペレーターなどなどそれぞれの観点から話を聞いて状況を整理した。
私がやったのは情報収集と状況を共有すること。
ファシリテーターになる事を心がけた。




【現在の状況と心境の変化】
開発部への異動により環境がかわり激務ではなくなった。
どの部署に行っても暇に感じてしまうほど当時鍛えられた。
私生活を充実させられるようになったが、仕事は暇に感じたり周囲の動きが遅くゆるく感じてしまうように。
当時のノリで仕事をしたり周りに押し付けるとパワハラになり得ないレベルなので気をつけている。
早く帰って何をすれば良いか分からず1年ほどは戸惑った。

【学んだこと】
何事も適度が1番で忙しすぎ、暇すぎは良くない。
職場で誰も助けてくれない時は周囲をいかに巻き込むかが重要だった。



【当時の自分へのアドバイス】
頑張りすぎない事。
頑張りすぎると仕事ができると思われて色々頼まれてしまう。
断ることも大事だし出来ないふりでも良いから頑張らないで欲しい。
出来ない人の元には自然と人が集まってきて助けざるを得ない。
誰かに助けてもらって責任を分散させてもらったほうが精神的に安定するかも。
是非1人で抱え込みすぎないように気をつけて欲しい。